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Friday September 09 2016 category:

最近読んだ本・数冊


巫女の棲む家 (中公文庫)

巫女の棲む家 (中公文庫)

  • 作者: 皆川 博子
  • 出版社/メーカー: 中央公論社
  • 発売日: 1985/08
  • メディア: 文庫

胡散臭いインチキ降霊術師と、降霊術に振り回される人々の話です。
というと、なんだかドタバタ喜劇のようですね…(;´・ω・)
あらすじを書くと、大陸に渡った少年が引き合わされたフランス人から『降霊術』を仕込まれ、成長する。
男のたった一人の肉親である姉は、戦争のどさくさで慰安婦とされ、性病をうつされたのち、何者かに撲殺される。
男は姉が死ぬ前に会いに行っており、あまりの変わりように強い嫌悪を抱き、姉を殺す夢を見る。
このことが、男の中に強く蟠っている。
日本に引き揚げてきて、男は降霊術で食べていくようになる。
ある医師が男を大変贔屓にし、そうして男の降霊術で語られた内容から新興宗教を興す。
医師の娘は、はじめのうちはそんな降霊術を毛嫌いしていたが、自分もトランス状態(神憑り)となり、巫女となる…
みたいな感じで、男のだれに向けてとも知れない鬱屈した怒りと諦念のようなもの、それから、医師の娘の、明日への確固とした足場のないような気持ちがもたらす不安さと、それを知覚したくないために一層巫女としての自分に振り回されるさまを描いた話…かな。
(書いてて、自分でも訳が分からない文章ですみません;)

読んでいて、一片の救いもありません。
こりゃやばいと思う感覚のある人たちのうち、逃げ出すだけの才覚のある人は逃げ出していくのですけれども、それのできない子供はただ巻き込まれて落ちていく。
ただただ息苦しい…
買った当時は自分が窒息させられるかのような恐ろしさに震え上がりました。
『伯林蝋人形館』の読後感もこれに近いかも。

戦後日本を舞台にした話、というと、私個人としてはやっぱり「横溝正史の金田一耕助」なんですけれど、金田一シリーズはどんなに舞台や動機が凄惨でも、どこかに風穴があって(それは垣間見える横溝先生の世界観であったり、耕助の性格によるものであったり)、読後感はさほど悪くはない。
(いや、悪いものもあるのだけど、『巫女の棲む家』ほどじゃないとでもいうか…)
この違いは非常に面白いです。
皆川氏が書こうと思えばどこかに救いを入れることはできたはずだし、そもそも真っ暗な世界の中でも光明の見えるような文章(構成)を書こうと思えば、いくらだって書ける方。
そこをあえて真っ暗に描き切ったということは、戦後を知らない読者に別の視点を与えて下すったということでもあって…

若いころ、皆川氏の日本物は暗くてつらくて苦手なものが多かったのだけど、齢を重ねて(笑)、その真っ暗な絶望や息苦しさこそがおもしろい(興味深いという意味で)と思うようになりました。

ちなみに『伯林蝋人形館』はこれ↓

伯林蝋人形館 (文春文庫)

伯林蝋人形館 (文春文庫)

  • 作者: 皆川 博子
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2009/08/04
  • メディア: 文庫

これも読んでいてけっこう苦しい。
皆川本は精神状態が上向きで元気な時じゃないと読めない本が多いな…



知床岬殺人事件 (講談社文庫)

知床岬殺人事件 (講談社文庫)

  • 作者: 皆川 博子
  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 1987/02
  • メディア: 文庫

書き出しに出てくる女性が、なんかもう侘しい感じで、痛々しくて切ないのですが、こらえて読んでいくとさらに痛々しいというね…(;ω;)
つらい。
そして、彼女が入れ込むピンク映画(!!!)の監督ばかりやっていたのだけど、今回どうにか普通の(?)映画の監督を務められそう…という男がね、わりあいクズ。
いや、クズといっては言いすぎなんだろうと思うんだけど、そして時代もあったんだと思うんだけど、今読むとなかなかクズ。
真犯人にはあまりクズさを感じない不思議。
いや、途中で真犯人思い出しちゃったけど、読んでておもしろかったです。
冒頭の女性な…彼女、あれからどうやって生きたんだろうな。
そこが気になります(*'▽`)ハハ




殺意の軽井沢・冬 (ノン・ポシェット)

殺意の軽井沢・冬 (ノン・ポシェット)

  • 作者: 皆川 博子
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 1987/07
  • メディア: 文庫

これも最初に出てくる女性がもう悲しくてやるせなくなるほど、痛々しい。
招待されたお宅に(しかも泊りがけ)、いきなり猫連れて行っちゃうとかね!
アル中か!(いや本当にアル中なんだけど)ってくらい、酒を飲んではクダ巻いて嫌われるとかね!
対する、アル中女性が反感を抱く、ライバルの女流推理作家(アル中さんも推理作家なの)の、非の打ち所もないホステスぶりとかね!
この容赦のなさがすごいわー。
これも途中犯人思い出したんだけど、動機を忘れていたので楽しく読めました。

そういや、この本、途中途中に挿絵があるのだけど、それをパラ見したうちの子が「挿絵のある本ってすごく珍しくない?!」って言ったのです。
そうさのう…昔は挿絵のある本(大人向けの小説)って、さほど珍しくなかったのじゃよ…などと返しました(笑)
新書サイズの本って大体あったような気がするし…
でもそれって、ある年代(80~90年代?)くらいのものなのかな。
それとも、私が読んでいた本にものすごく偏りがあるのかもしれないな!



もうひとつ、皆川博子本。

聖餐城 (光文社文庫)

聖餐城 (光文社文庫)

  • 作者: 皆川 博子
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2010/04/08
  • メディア: 文庫

厚い…厚いよ!
文庫だからまだ柔らかいけど、これハードカバーなら撲殺できるレベルの厚さ(ひどい譬え)。
分冊あんまり好きじゃないかも…と思っていたけど、分冊のありがたみを感じた一冊。
あまりに厚くて、ちょっと強く開いたらそこでページが割れちゃう(開き癖がついちゃう)んじゃないかと思われて、そーっとそーっと開いて読みました(笑)

これは三十年戦争がモチーフの話。
さんじゅうねんせんそう~?ドイツ~?ぐらいの知識(しかも間違っている)だった私には、初読では出来事が全く頭に入らなかった(;-ω-)
しかもめちゃくちゃ地理に疎いので、ボヘミア~?プラハ~?リューベック~?とか、もういちいち地図を確認しないとわからない!(ひどい!)
地図はとりあえず、別紙で用意したほうがいいなあ、私の残念な頭用には。

いかに戦争ってお金がかかったか、という印象しかない!と言っていいくらい、とにかくお金・お金・お金…という話(笑)
アディ(主人公のひとり)の成長譚としてもおもしろかったですけれども。

かなり悲惨な生まれ・育ちのわりに、アディの性格はまっすぐで素直。
学はないけど、なんとか自分で考えてがんばって自分の運命を生きています。
なんかこう、皆川世界からいって、絶対的に庇ってくれる年上の庇護者が付きそうなものなんだけれども、アディにいるのは年下の毒舌の庇護者…?みたいな、イシュア。
もちろん最後は庇ってくれるんだけど、突き放されているような…という印象。
この二人の距離感が絶妙です。

イシュアの兄ちゃんが、これまた「現実の人間てこうだよね…」ってふうに、いい具合に良心と折り合いをつけつつ自己中に生きている感じが素晴らしい。

内容は重いですが、読後感は悪くないです。
聖餐城とそれにまつわるからくりについては、最後の最後に明かされます。
えー!それ?と思いながらも、それしかないだろうな…と納得させられます。
あーおもしろかった!
次は絶対に地図用意するんだ…(覚える努力は端から放棄)



最後はこれ。

オリエンタルラジオ×青山裕企 写真集 DOUSEI ―ドウセイ―

オリエンタルラジオ×青山裕企 写真集 DOUSEI ―ドウセイ―

  • 作者: 青山 裕企
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
  • 発売日: 2016/09/02
  • メディア: 単行本

発売前、いろいろ物議を醸していましたが…
(主に『変態』という言葉について、使い方について、同性同士の同棲ということについて)
発売後に書評をちらっと見ましたが、これも賛否両論ですね…
どれが正解か私にはわからないので、そのあたりは考えず、感じたところを書きます(;'∀')


「普通に芸能人の写真集だな!」というのが、まず感じたことでした。
多分これは、『撮られている意識』が微妙に垣間見える写真が多い、というところからきてるんだと思います。
いいとか悪いとかではなく、普通の人の日常を切り取った写真集は『撮られている』といった意識が見えないものが多いです。
(少なくとも私が見た限りにおいては)
この「作られた」日常(あるいは、非日常)を演じているところを写した写真が「商品になる」という点が、とても芸能人っぽいというか…
これが嘘くさいと感じられて好きじゃないと思う人も、もちろんいると思います。
(これもいいとか悪いとかではなく、感性の問題ですから)
私は、これはありだな!というか、好きだなーと思ったほうのひとりです。
さらに突っ込んでいうなら、この『照れ』のようなものがすべて消え去った写真だけで構成された写真集も見てみたいとも思いました。

何枚かある、オリラジのふたり(あるいはひとり)の、突然周りから切り離されたような写真にハッとするようなフェティシズムを感じます。
それはあからさまに見つめあった写真でもなく、ひとつのベッドに寝転がっている写真でもなくて、箒で打ちかかってくるのを鍋蓋で防御する写真だったり、花束を抱えて並んで座っている写真だったり…
多分ですけど、おそらくこういった写真には「被写体のふたりのみせる(見せる・魅せる)」的な気負いが消えて、残っているのは「写真家・青山さんに見える」オリラジふたりの関係性だけだからじゃないかな…とか。
私はその青山さんのフェティシズムに感応したのかな。
鍋蓋構えた同じ構図の異性(あるいは同性)同士の写真を見せられて、同じようにフェティシズムを感じるかというと謎な気がします。
私にとって、この写真集は「オリラジ」のもの、オリラジの物語性が基盤にある写真集だから。

でも、別のモデルさんを使った一冊の写真集の中で、ある物語を構築していって、そのうえでこの構図の写真が並んでいたら…
やっぱりフェティシズムを感じるのではないかしら。
(そして感じない場合もあるのではないかしら)


とてもおもしろい写真集でした。
青山さんとオリラジのコラボが生んだ、奇跡の空気感(≒フェティシズム)が素晴らしかった。
見た側がどうとでも受け取れる、正解のない世界がステキだと思います。

* 追記 *
『微妙な関係性(ここ詳しく述べるとさらに長くなるので割愛)』に対する嗜好(みたいなもの)って、フェチ言わないかもなー!と書いてから気づき、うーんまあいいかと思ってそのまま載せたんだけど、やっぱり気になったので書き残します(;´・ω・)
この場合のフェティシズムは適当でない感じ…
言い換えるならなんといったらいいのか…萌え?
萌えかな




タグ:Books Ringo Mystery

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