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Thursday April 28 2016 category:

くいしんぼうのあおむしくん


くいしんぼうのあおむしくん (こどものとも傑作集)

くいしんぼうのあおむしくん (こどものとも傑作集)

  • 作者: 槇 ひろし
  • 出版社/メーカー: 福音館書店
  • 発売日: 2000/09/15
  • メディア: 大型本


最近、個人的に衝撃的な話を子供から聞きました。
それは…(ためるほどのことでもない)
この、『くいしんぼうのあおむしくん』という絵本が大っ嫌いだった、ということです。

この本は、子供が幼稚園の年中さんだったとき(大体4歳ごろ)に「どうしてもほしい」というので買った絵本です。
当時、月におおむね2~3冊、子供の好きな絵本と親が選んだ絵本を買っておりました。
親が選ぶのは、だいたい自分が子供のころに読んだ絵本です。
子供が選ぶのは、え?それどこの棚から見つけてきたの?というような本ばかり。
店頭でさっと話を読み聞かせ(許可しているお店です)、本当にほしいか尋ねます。
2~3冊読み聞かせた後、「これがいい」というのを買うのですが、この『くいしんぼうのあおむしくん』は一度読んだだけで「これがいい!」といった本でした。

この絵本のあらすじをざっとまとめると…

まさおは自分の帽子を食べているあおむしを見つけました。
お前は悪い虫だな、というまさおに、あおむしくんは
「ごめんね、ぼく……くいしんぼうの あおむしなの」
と答えます。
このあおむしくんは本当に食いしん坊で、なんでもあっという間に食べてしまうのでした。
パパもママもそんな虫は捨てなさいとおこりますが、まさおはあおむしくんをかばいます。
近所からごみを集めて食べさせたりと、まさおはがんばります。
でも、あおむしくんはどんどん大きくなって
「おなかがすいたよう。しにそうだよう」
というのです。

ある日、目覚めてみると、まさおのまわりには何もありません。
おうちも、パパもママも、ご近所も、なにもかもすべて、あおむしくんが食べてしまったのでした。
まさおはあおむしくんを責めますが、責めたところでかえってくるわけではなし、あきらめて、まさおはあおむしくんと世界中を放浪します。
行く先々であおむしくんは、なにもかも食べつくしてしまうのでした。
そうして、あおむしくんとまさおだけが残りました。
パパとママを返せ!と再び責めるまさおを、
「まさおくんも たべてしまったほうが よかったんだ」
と、あおむしくんは食べてしまいます。

まさおが気づくと、以前住んでいた町のはずれにひっくり返っていました。
パパもママもなにもかも元通りです。
空は、あおむしくんのおなかの色を透かした色でした。


という話で、これは確かに不気味な話です。
店頭で読み聞かせながら、私は『これはないだろう』と思ったのですが、子供の決意は固く「この本がいい」と言って譲りません。
それで、まあ半分しかたなく買ったのです。
で、この本が彼の大のお気に入りになったか…というと、そうでもなく、たまに持ってきて「今日はこれ読んで」と言って、またしばらく放置するという感じでした。
でも絶対忘れられることはない絵本でした。
必ず月に一度くらいは持ってきて「読んで」というのです。
この不思議に不気味な話のいったいどこが好きなのか、私はいつも謎だなあ…と思いながら読んでいました。
(尋ねても幼すぎて、理由を説明できないですものね)

成長して彼も自分で本を読むようになり、それでもたまにやる読み聞かせはもっと字の多い児童書になり、いつの間にか『あおむしくん』の絵本は本棚の片隅に忘れ去られていました。

そうして彼は高校生になり、「あの絵本、大嫌いだった」と言ったのです。


不思議です…
わりとよく読んでいた本なのに、大っ嫌いだったのに読んでいた…ってこと?
なんで?
子供からその話を聞いてから、私の頭の中からこの疑問が離れなくなりました。
それでずーっと考えていたんですが…

多分、この本が嫌いだった(あるいは恐ろしかった)というのは、本当なんだと思います。
大好きなパパとママを食われ、世界も失って放浪する話は、子供心に相当なインパクトを残したのでしょう。
だから、今ここに大好きなとうさんとかあさんはちゃんといて、世界も別段壊れていない、ということをたまに確認しないと気が済まなかったのではないか…?と推測しています。
『くいしんぼうのあおむしくん』という絵本を読むことによって、まさおの世界は自分の世界とは全然違う世界だということを、時々再確認したくなったのかなあ…と。


今回ご紹介した本を、私は積極的にお勧めしません(;'∀')
親世代が読んでも、かなりインパクトのある話ですし。
ただ、この本を読んだ子供が「買って」、と言ったときに買ってあげるのは推奨します!
多分、この本には繰り返し幾度も読むことによって克服できるなにか、があるのだと思います。
子供がふと思い立ったときに読めるのが大事なのかも…というのが、今回「大っ嫌いだった」発言から今まで考えてきた結論です。

克服すべき何か…というのは、なんとなく、分離不安みたいなものではないかと思っています。
幼稚園で頑張ったり、親の意見に反対して自分の考えで何かをやってみたり…というときに覚える不安な気持ち。
そしていつか親から精神的に独立できるようになった時には克服できている、といったようなもの。
とか考えてますけど、どうなんでしょうね?



読んであげるなら 3歳~
自分で読むなら 年長さんぐらいから(読めると思うけど、でもやっぱり親と一緒に、を推奨します)



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